新幹線に乗車せず、九州から東京まで列車で移動した初めての旅行

### 東京から宮崎まで列車で移動 / 2011 年 3 月 15 日(1 泊目) #### この日……

東京←→宮崎旅行 3 回目


閲覧数:558  投稿日:2023-05-20  更新日:2025-01-07

旅行日程

出発日

2011 年 3 月 15 日

帰着日

2011 年 4 月 4 日

旅行日数

20 泊 21 日

移動手段

往路

列車(新幹線利用あり)

復路

列車(新幹線利用なし)

東京から宮崎まで列車で移動 / 2011 年 3 月 15 日(1 泊目)

この日の移動の大まかな流れ

田町駅(東京都港区) → 電車で移動 → JR品川駅(東京都港区) → 新幹線で移動 → 小倉駅(福岡県北九州市小倉北区) → 「883系 ソニック」で移動 → 大分駅(大分県大分市) → 特急「783 系特急電車にちりん」で移動 → 佐土原駅(宮崎県宮崎市) → 電車で移動 → 日向住吉駅(宮崎県宮崎市)

宿泊先

知人Fの自宅 / 宮崎県宮崎市

記録なしのため不明 / 2011 年 3 月 16 日(2 泊目)

宿泊先

知人Fの自宅 / 宮崎県宮崎市

「生目神社」と「南宮崎」を訪れました / 2011 年 3 月 17 日(3 泊目)

この日の移動の大まかな流れ

※宮崎県宮崎市内の移動です
知人Fの自宅 → 車で移動 → 生目神社 → 移動手段不明 → 宮崎駅 → 移動手段不明 → 日向住吉駅 → 電車で移動 → 南宮崎駅 → 徒歩で移動 → 宮交シティ → 徒歩で移動 → 南宮崎駅 → 電車で移動 → 宮崎駅 → 電車で移動 → 日向住吉駅

宿泊先

知人Fの自宅 / 宮崎県宮崎市


2023 年 11 月 12 日時点に気が付いたこと

「高千穂線 延岡駅」跡が現在どうなっているか確認していく過程で、大きな気付きが 2 件あったので、備忘録として記録しておきます。

A.「西延岡駅」を訪れてはいない

「高千穂線」が台風 14 号による被害で長期運行休止されて以降、計 8 回「細見駅」(宮崎県延岡市細見町3582-3)を訪れましたが、私は恐らく一度も「西延岡駅」(宮崎県延岡市松山町)を訪れていません。
私が「西延岡駅」跡だと思っていた場所は、駅ではなくただの踏切だった場所でした。

勘違いした理由

「高千穂線」は、五ヶ瀬川のすぐ北側を通る「国道 218 号線」沿いに敷設されていたと思い込んでいました。
→確かに「細見駅」近辺では「高千穂線」は「国道 218 号線」沿いにありましたが、実際には全線に渡ってすぐ近くを並走していたわけではありません。

「西延岡駅」は「松山橋」より西側にあったと思い込んでいました。
→実際には「松山橋」より東側(延岡駅寄り)にありました。ものすごく驚きました。

B.「延岡バスセンター」の移転

「延岡駅前バスセンター」は「高千穂線 延岡駅」跡地へ移転し、名称が「延岡バスセンター」へ変更されました。

延岡駅前バスセンター

〒882-0053 宮崎県延岡市幸町3-2
0982-32-3341

延岡バスセンター

〒882-0053 宮崎県延岡市幸町3-4266-14
0982-42-2633

2023 年 11 月 12 日時点の疑問

私はそもそも、一度でも「西延岡駅」を訪れたことがあるのだろうか?
インターネットに掲載されている「西延岡駅」のホームを見てもまったく見覚えはありませんが、駅前の簡易ロータリーに何となく見覚えがあるような気もします。
西延岡駅のGoogleマップ
「行縢駅」を覚えているのに、より「延岡駅」に近いはずの「西延岡駅」を覚えていないなんてことはあるのだろうか?
そもそも私はなぜ「行縢駅」を覚えているのか。それもよく分かりません。
昔の「西延岡駅」前が見たい。そうすれすれば何かを思い出すかもしれません。

今後について

これまでは旅行の度にレンタサイクルで「細見駅」まで出掛けていましたが、再開発の結果「駅舎」も「ホーム」も「線路」も撤去されたため、もう止めようと思っていました。高千穂線レンタサイクルツアーを。
ただ、今日、「西延岡駅」には「駅舎」も「ホーム」も「線路」も保存されていることを知り、だったら次の機会には、「細見駅」跡ではなく「西延岡駅」跡を訪れてみようかな、と思いました。
次の機会がもしあれば、ですが……。

2024 年 7 月 25 日に調べたこと

宮崎駅西口拠点施設整備事業とは何ですか?

「宮崎駅西口拠点施設整備事業」は、宮崎市の中心市街地活性化基本計画の主要事業として、JR宮崎駅西口の県および市所有地に、公共公益施設・商業施設・オフィス・ホテル等の複合施設を整備し、「賑わい・交流・憩い」の交流拠点の創造を目的とした事業です。

具体的には、以下のような施設が整備されています:

  • 広場:約367m²
  • 歩道:約984m²
  • 建築物:建築面積約4,867m²、延べ面積約29,802m²、敷地面積約7,940m²

この事業は、宮崎市の中心市街地活性化基本計画の基本理念『夢を育むみんなの街』に則り、いろいろな人の様々な目的(夢)を可能にする場所、思い思いの時間を過ごす場所を目指し、宮崎のゲートウェイであるJR宮崎駅西口において、観光案内施設等の公共公益施設・商業施設・オフィス・ホテル等の複合施設を整備し、『賑わい・交流・憩いの交流拠点』を創造することを目的としています。

事業の経緯は以下の通りです:

  • 平成21年7月:「宮崎グリーンスフィア特定目的会社」が宮崎市と基本協定を締結
  • 平成22年2月:宮崎県及び宮崎市との事業用定期借地権設定
  • 平成22年3月:工事着工

商工会議所を中心とした地元企業からの出資とあわせ、MINTO機構の出資制度を活用することにより、事業の立ち上げ支援が行われました。

※「宮崎駅西口拠点施設整備事業」は、国土交通省「認定民間都市再生整備事業計画」の認定番号 23 です。
※MINTO機構の支援メニューの内、まち再生出資・社債取得業務(まち再生出資業務)が適用されました。

MINTO機構とは何ですか?

MINTO機構は、一般財団法人民間都市開発推進機構の愛称で、「民間都市開発の推進に関する特別措置法」(昭和62年法律第62号)に基づく民間の都市開発を推進するための主体として、国土交通大臣の指定を受けた法人です。

この機構は、昭和62年10月に財団法人(旧民法34条の規定に基づく公益法人)として設立され、平成25年4月に一般財団法人へ移行しています。
設立以来、都市開発推進の政策の担い手として、民間都市開発事業に対して安定的な資金支援など多様な支援を行ってきており、今日までの支援実績は、累計で1,400件超、支援総額は1兆9000億円超となっています。

MINTO機構は、「魅力あるまち」の実現に貢献するため、まちづくりのパートナーとして、安定的な資金支援を通じて活動しています。
具体的には、都市再生、商店街の活性化、空き店舗や空きビルの有効活用、古民家等の再生など、様々なまちづくりのプロジェクトに対して支援を行っています。
また、地域の金融機関として地方創生に取り組むことも可能です。
これらの活動を通じて、MINTO機構は未来のまちづくりをサポートしています。

他の都市開発関連団体と比べて、MINTOは何が違いますか?

MINTO機構は、他の都市開発関連団体と比べて、以下の特徴を持っています:

  1. 法的地位:MINTO機構は、「民間都市開発の推進に関する特別措置法」に基づき、国土交通大臣に指定された一般財団法人です。
    これにより、MINTO機構は公的資金による金融機関として、民間都市開発事業に対して安定的な資金支援など多様な支援を行うことができます。

  2. 資金支援:MINTO機構は、昭和63年に政府保有のNTT株の売却益を利用した利益の見込まれるインフラ整備のための無利子融資、NTT-A型無利子貸付業務を追加しました。
    これにより、MINTO機構は他の団体と比べて、より広範で多様な資金支援を提供することが可能となりました。

  3. 支援実績:MINTO機構の金融支援実績は、2020年度末までの累計で、1,438件、1兆8,932億円であり、これは他の都市開発関連団体と比較しても非常に高いレベルです。

  4. 多様な業務:MINTO機構は、都市再生、商店街の活性化、空き店舗や空きビルの有効活用、古民家等の再生など、様々なまちづくりのプロジェクトに対して支援を行っています。
    また、地域の金融機関として地方創生に取り組むことも可能です。
    これらの活動を通じて、MINTO機構は未来のまちづくりをサポートしています。

これらの特徴により、MINTO機構は他の都市開発関連団体とは一線を画しています。
それぞれの団体が持つ特性や役割を理解することで、都市開発の全体像をより深く理解することができます。

「宮崎駅西口拠点施設整備事業 壱番館新築工事」について教えて

「宮崎駅西口拠点施設整備事業 壱番館新築工事」については、「KITEN(きてん)」という名前の複合商業ビルが該当します。

KITENは、宮崎県宮崎市の宮崎駅西口前に位置しており、1階正面の高速バスターミナル(正式名称:宮崎駅西口バスターミナル)と一体的に整備されました。
正式名称は「宮崎グリーンスフィア壱番館」です。

このビルは、観光・交通の拠点として人々が行き交う複合拠点施設であり、中心市街地全体の活性化をリードする存在を目指しています。
また、愛称の「KITEN」は、「起点」と「来てん」(宮崎弁で「来てみて」「おいで」の意味)を掛け合わせたものとなっています。

建物は2011年に竣工し、その後も利用形態が変化しています。
例えば、弐番館の計画地は、多目的広場「KITEN広場」として活用されていましたが、2020年3月より立体駐車場へと転用されました。

なお、主なテナントとしては、JR九州ホテル宮崎、宮崎交通宮崎駅西口バスターミナル、ローソン宮崎駅前などがあります。

項目内容
竣工年2011
発注者宮崎グリーンスフィア特定目的会社
場所宮崎県
用途商業施設・オフィス・ホテル(複合施設)
階数地上14階
延床面積19,339m2
構造S造
設計事務所(株)石本建築事務所

2025 年 1 月 7 日に調べたこと

フェニックス号

概要

  • 運行区間: 福岡市(天神バスターミナル、博多バスターミナル)と宮崎市(宮崎駅、宮交シティ)を結ぶ高速バスです。
  • 運行開始: 1990年(当初は夜行便のみでしたが、のちに昼行便も追加されました)。
  • 運行会社: 宮崎交通、西日本鉄道(西鉄)の共同運行。

特徴

  1. 所要時間:
    • 昼行便: 約4時間50分。
    • 夜行便: 約5時間(深夜帯の運行)。
  2. 運行本数: 昼行便が1日16往復、夜行便が1日1往復(2025年現在)。
  3. 利用者の特徴: 宮崎県から福岡市へのビジネスや観光利用、また福岡から宮崎への観光客など、幅広い利用者層があります。

設備

  • 快適なリクライニングシートを備えた車両で運行され、USB充電ポートやWi-Fiが利用可能です。
  • トイレ付き車両も運行。

なんぷう号

概要

  • 運行区間: 宮崎市(宮崎駅、宮交シティ)と熊本市(熊本駅、熊本交通センター)を結ぶ高速バスです。
  • 運行開始: 1981年(九州で初めて本格的な高速バス路線としてスタート)。
  • 運行会社: 宮崎交通、九州産交バスの共同運行。

特徴

  1. 所要時間:
    • 約3時間~3時間30分(ルートにより変動)。
  2. 運行本数:
    • 1日14往復。
  3. 利用者の特徴:
    • 熊本・宮崎間の観光や帰省、ビジネス目的の利用者が多いです。

設備

  • 快適なリクライニングシートを装備し、一部の車両ではWi-FiやUSB充電ポートが使用可能。
  • トイレ付き車両も運行されており、長距離移動でも安心。

両路線の魅力

  1. 利便性:
    • 宮崎市と九州の主要都市を直結する高速バスとして、鉄道と並ぶ重要な交通手段となっています。
  2. コストパフォーマンス:
    • 新幹線や飛行機よりもリーズナブルな運賃で利用できるため、多くの利用者に支持されています。
  3. 観光に便利:
    • 宮崎や熊本、福岡は観光地が豊富で、高速バスはアクセスの良さが魅力です。

2011

2011年3月、終点の「大分駅 3 番線ホーム」に到着した、東九州のアーバンライナー「883系 ソニック」を撮影しました
終点の「大分駅 3 番線ホーム」に到着した、東九州のアーバンライナー「883系 ソニック」を撮影しました。
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  • 2011

    終点の「大分駅 3 番線ホーム」に到着した、東九州のアーバンライナー「883系 ソニック」を撮影しました。

    2011年3月、終点の「大分駅 3 番線ホーム」に到着した、東九州のアーバンライナー「883系 ソニック」を撮影しました
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東京から宮崎まで列車で移動 / 1 日目(2011 年 3 月 15 日)

 閲覧数:0 投稿日:2023-05-20 更新日:2024-04-03 カテゴリー: 東京←→宮崎  投稿: travel  

品川駅 → 小倉駅 / 東京都港区 → 福岡県北九州市小倉北区

新幹線

小倉駅 → 佐土原駅 / 福岡県北九州市小倉北区 → 宮崎県宮崎市

特急電車

佐土原駅 → 日向住吉駅 / 宮崎県宮崎市

普通電車

  • 2011年3月、終点の「大分駅 3 番線ホーム」に到着した、東九州のアーバンライナー「883系 ソニック」を撮影しました

    終点の大分駅に到着した「883系 ソニック」

    207
    終点の「大分駅 3 番線ホーム」に到着した、東九州のアーバンライナー「883系 ソニック」を撮影しました。これから、知人Fの自宅がある「日向住吉駅(宮崎県宮崎市)」まで、特急電車「にちりん」に乗車して向かいます。
  • 2011年3月、「にちりん」到着を待っている間、夜の「大分駅 2・3 番線ホーム」を撮影しました

    夜の「大分駅 2・3 番線ホーム」

    209
    「にちりん」到着を待っている間、夜の「大分駅 2・3 番線ホーム」を撮影しました。
  • 2011年3月、夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ現れた「783 系にちりん」のヘッドライトを撮影しました

    夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ現れた「783 系にちりん」のヘッドライト

    2010
    夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ現れた「783 系にちりん」のヘッドライトを撮影しました。右側には、隣のホームへ停車している東九州のアーバンライナー「883系 ソニック」も写っています。
  • 2011年3月、夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ到着したのは「783 系特急電車にちりん」でした

    夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ到着した「783 系特急電車にちりん」

    2011
    夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ到着したのは「783 系特急電車にちりん」でした。見たことがないフォルムの電車だったので私はとても驚きました。前回(2005 年)旅行した際には、「RED EXPRESS」と書かれた真っ赤な車体の「485 系特急電車にちりん」に乗車したため、今回も似たようなデザインの電車が来るものだとばかり思っていたからです。※私がいつも乗車していた特急電車が「485 系」であることや、今回乗車した電車が「783 系」であることは、この旅行が終わった後、インターネットで情報を検索してみて初めて知りました……。
  • 2011年3月、夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ到着した「783 系特急電車にちりん」へ乗り込み、誰もいない車内を撮影しました

    夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ到着した「783 系特急電車にちりん」の車内

    2013
    夜の「大分駅 3 番線ホーム」へ到着した「783 系特急電車にちりん」へ乗り込み、誰もいない車内を撮影しました。文字通り貸し切り状態でした。これから、知人Aの自宅がある「日向住吉駅(宮崎県宮崎市)」まで、「783 系特急電車にちりん」で向かいます。
  • 2011年3月、約 2 時間後、私が「大分駅 3 番線ホーム」から乗車した「783 系にちりん」は、「延岡駅」へ到着しました

    夜の延岡駅に展示されていた手作り看板「ありがとう。日豊線を駆け抜けた485系」

    2219
    約 2 時間後、私が「大分駅 3 番線ホーム」から乗車した「783 系にちりん」は、「延岡駅」へ到着しました。発車まで時間があったので、私は一旦電車を降り「延岡駅のホーム」周辺を散策してみることにしました。そこで「延岡駅の 1 番線ホーム」に展示されていた手作り看板「ありがとう。日豊線を駆け抜けた485系」を見つけました。 私はその時初めて、これまで乗車していた特急電車にも型番があることに気が付き、それがもしかしたら 485 系かもしれないと思いました。そして、「ありがとう」というメッセージから、あの特急電車はもう引退してしているのかもしれない、何れにしても帰ったら調べてみよう、と思いながら記念に看板を撮影しました。
  • 2011年3月、発車までの待機中に、2008 年に廃止された「高千穂線 延岡駅」跡を撮影しました

    「高千穂線 延岡駅」跡

    2220
    発車までの待機中に、2008 年に廃止された「高千穂線 延岡駅」跡を撮影しました。敷設されていた線路が完全に撤去されていたので、ものすごくショックを受けました。懐かしむことすらできない……。文字通り「浦島太郎」状態でした。私は東京に憧れそして現在も東京に住んでいる人間ですが、昔の地元を懐かしむ気持ちが、ずっと地元が嫌いだった自分の中にも残っていたことにとてもとても驚きました。
  • 2011年3月、発車までの待機中に、夜の「延岡駅 1 番線ホーム」に停車中の「783 系にちりん」を撮影しました

    夜の「延岡駅 1 番線ホーム」に停車中の「783 系にちりん」

    2221
    発車までの待機中に、夜の「延岡駅 1 番線ホーム」に停車中の「783 系にちりん」を撮影しました。
  • 2011年3月、発車までの待機中に、夜の「延岡駅 1 番線ホーム」に停車中の、誰もいない「783 系にちりん」の車内を撮影しました

    夜の「延岡駅 1 番線ホーム」に停車中の、誰もいない「783 系にちりん」の車内

    2223
    発車までの待機中に、夜の「延岡駅 1 番線ホーム」に停車中の、誰もいない「783 系にちりん」の車内を撮影しました。
  • 2011年3月、デザイン(色使い)が斬新だと感じたので、「783 系にちりん」車両間貫通路の真っ赤なドアを撮影しました

    「783 系にちりん」車両間貫通路のドア

    2250
    デザイン(色使い)が斬新だと感じたので、「783 系にちりん」車両間貫通路の真っ赤なドアを撮影しました。

    その後、「日向住吉駅(宮崎県宮崎市)」で下車し、知人Fの自宅に泊まりました。

「生目神社」と「南宮崎」を訪れました / 2011 年 3 月 17 日(3 泊目)

 閲覧数:0 投稿日:2024-04-03 更新日:2024-09-25 カテゴリー: 東京←→宮崎  投稿: travel  

この日の移動の大まかな流れ

※宮崎県宮崎市内の移動です
知人Fの自宅 → 車で移動 → 生目神社 → 移動手段不明 → 宮崎駅 → 移動手段不明 → 日向住吉駅 → 電車で移動 → 南宮崎駅 → 徒歩で移動 → 宮交シティ → 徒歩で移動 → 南宮崎駅 → 電車で移動 → 宮崎駅 → 電車で移動 → 日向住吉駅

今日も予定なしのはずだったのですが……。

昨日同様何の予定もなかったのですが、朝、Fと話している際「どこでも好きなところへ連れて行って上げるよ」と言われたので、「生目神社」行きを希望しました。
私が「生目神社」行きを希望した理由は、中学生の頃まで遡ります。

高校受験することになった私は(高校受験と言っても、決められた地元校区の高校へ進学するだけですが……)、合格祈願のためお参りに出かけることになりました。
私は高校受験に一抹の不安も感じていたので、この親の提案の乗りました。
行き先は「生目神社」。
神社へ向かう途中の車の中で、私の親が言いました。
「合格したら必ずお礼参りに来なければいけない」
何と言われたか一字一句までは覚えていないのですが、お礼参りに来ないと目が潰れるとか、呪われるとか、不幸になる、とかそんな類のことを親が後出しジャンケンの如く突然言い出したので、私はびっくりしました。
こんな山奥の車がないと来れないような所、なかなか来れないよ、どうしよう……。
私は不安になりながらも、一生懸命にお参りをしました。

お参りのかいもあってか高校には無事合格し、その後、普通に生活していました。
ところが、ある日、突然思い出しました。
そう言えば、お礼参りにいっていないことを……。

ちょうど車もあるし、よい機会だと思い、私は今回「生目神社」行きを希望しました。

  • 2011年3月、「生目神社」(宮崎県宮崎市大字生目345)まで車でやってきました

    「生目神社」の「ニの鳥居」

    112
    「生目神社」(宮崎県宮崎市大字生目345)まで車でやってきました。
    それから「生目神社」の「ニの鳥居」を記念に撮影しました。
  • 2011年3月、帰り際に「生目神社」の境内を撮影しました

    「生目神社」の境内

    113
    帰り際に「生目神社」の境内を撮影しました。中央奥には「二の鳥居」も写っています。

    私の頭の中には、この時たくさんの「???」が浮かんでいました。
    予測の範囲を越えたことが起きたため、脳の処理が追いつかなかったからです。
    車でこの場所まで連れてきてくれた「F」に訊ねました。
    「ここって生目神社?」
    「ここって本当に生目神社?」
    「『生目』って『生きる』に「目」って書く生目神社?」
    「生目神社って他にはないの?」

    「F」と話して分かったことは、ここは紛れもなく本物の「生目神社」であること。
    そして「生目神社」は他にはないこと、などでした。

    では、私が高校入学祈願に訪れたあの神社はなんだったの?
    そうです。
    私が以前訪れた「生目神社」と、今現に訪れているこの「生目神社」が全く違う場所なのです。
    私が以前訪れた「生目神社」へは、車を降りた後、沈下橋を渡り、険しい山道を登った先までわざわざ訪れる必要がありました。
    こんな簡単に車で訪れることができる場所ではなかったのです。
    こんなはずはない。
    こんな現実があるはずはない。
    いくら年月が経過しているからといっても、山奥の上にあった神社が、こんな里の近くまで降りてくるはずはない。
    私は、まるで悪い夢を見ているような気分に陥りました。
  • 2011年3月、帰り際に「生目神社」の「一の鳥居」を撮影しました

    「生目神社」の「一の鳥居」

    114
    帰り際に「生目神社」の「一の鳥居」を撮影しました。
    大変立派な鳥居ですが、やはり見覚えはありません。
    私の記憶が間違っているか、私の記憶は間違っていないが記憶が一部欠落しているか、私が自分でも気が付かないだけで中身が実は誰かと入れ替わっているか、あるいは「F」が私をからかっているのか、もしくは「F」自身が勘違いしているのか……。
  • 2011年3月、帰り際に、階段下から「生目神社」の「一の鳥居」をもう一度撮影しました

    階段下から見た「生目神社」の「一の鳥居」

    115
    帰り際に、階段下から「生目神社」の「一の鳥居」をもう一度撮影しました。
    この風景にも、やはり見覚えはありません…。

    私の頭の中は、完全に混乱してしまいました。
    え? どういうことなの?
    外はこんなに天気がよいのに。
    まるで異世界にでも来ているみたい。
    あり得ないんだけど……。

    Fは、何度も同じ質問を繰り返す私を特に気にする素振りもなく、そのまま車を発進させました。
  • 2011年3月、宮崎駅まで車でFに送ってもらった後、Fとはそこで別れました

    宮崎駅西口拠点施設整備事業 壱番館新築工事

    1214
    宮崎駅まで車でFに送ってもらった後、Fとはそこで別れました。
    それから、宮崎駅前で行われていた「宮崎駅西口拠点施設整備事業 壱番館新築工事」を撮影しました。
  • 2011年3月、宮崎駅前に植栽されているフェニックスの木を撮影しました

    宮崎駅前に植栽されているフェニックスの木

    1215
    宮崎駅前に植栽されているフェニックスの木を撮影しました。
  • 2011年3月、「宮崎駅」前に設置されている「高速バス時刻表」と「定期観光バス停留所」を撮影しました

    「宮崎駅」前に設置されている「高速バス時刻表」と「定期観光バス停留所」

    1216
    「宮崎駅」前に設置されている「高速バス時刻表」と「定期観光バス停留所」を撮影しました。
    「フェニックス・なんぷう」などと表示されている様子も写っています。

    「フェニックス号」は、宮崎市と福岡市を結ぶ高速バス路線の名称で、宮崎交通、西日本鉄道(西鉄)の共同運行。
    また、「なんぷう号」は、宮崎市と熊本市を結ぶ高速バス路線で、宮崎交通、九州産交バスの共同運行です。


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「延岡駅」を訪れ、そこで初めて「高千穂線」が台風 14 号による被害で長期運行休止されていることを知った旅行

「新幹線に乗車せず九州から東京まで列車で移動する旅」に以前ほどの感動を感じなくなった旅行